相良藩願成寺駅(さがらはん・がんじょうじ・えき) 渋い駅です。 駅名に「藩」が付いている辺りが、より渋いです。 |
墓所入口 左の写真は入口全体、下は入口右横にあった石碑です。 入口の立派さは予想以上でした(笑)。 石碑に書いてあるのは家系図です。 |
長頼公の墓 墓地に入ると、まず正面に建っているひときわ大きな石塔が、相良氏初代長頼(ながより)公の墓 です。 しばらく墓地をうろうろしていると、寺からお坊さんが来て、長頼公の墓前で経をあげ始め ました。 居づらかったー(・∀・;)。 |
長頼公の墓正面から見て右手側に、他の当主の墓の群れに続く石段がありました。 途中で左右に階段が分かれ、左に行くと、五輪塔がわらわらと並んでいるのが見えました。 写真は階段を上りきった場所で、第2墓所前から撮ったものです。 |
相良家墓地説明図 墓の配置や、歴代当主の俗名・法名・逝去年・廟所等の説明図です。 第1墓所から第5墓所までありました。 …あ、下に家紋が(笑)。 |
第1墓所案内 この墓所の最後列に、2代から19代までの当主の墓が並んでいました。 どれも格好が似ているので、どれが誰のやら、見ただけではわかりません。 画像クリックで、どれが誰のやらがわかります。 |
第14代長祇(ながまさ)公の墓 第1墓所の最後列左端にありました。 五輪塔以外にも造ってもらえるほど特別な偉業を成した人かと言うと、実際そうは思えない のですが(失敬)。 なんでだろ。 |
第1墓所から初代長頼公 第2代頼親公の墓前から初代長頼公の石塔を撮りました。 こうやって見ると、長頼さんは子孫大勢の視線を一身に浴びているのですね。 |
墓所家紋 第2墓所前にありました。 これは2種類の家紋のうち、新しいほうのものですね。 |
第2墓所案内 右から
第23代頼福(よりとみ)
第26代頼峯(よりみね) 第22代頼喬(よりたか) 第24代長興(ながおき) 頼喬二男 頼喬世子 第21代頼寛(よりひろ) 第18代義陽夫人 第20代長毎(ながつね) 第20代長毎夫人 第22代頼喬の母 |
第2墓所から初代長頼公 この写真を見ると、敷地内がなかなか広いことに納得していただけるのではないでしょうか。 |
第3墓所案内 上の枠の右端から左下、中央の枠に移って右から。
第28代晃長(あきなが)
どうして32代がふたりも書いてあるのだろうか…。第34代長福(ながとみ) 第33代頼之(よりゆき) 第31代長寛(ながひろ) 第30代福将(とみもち) 第25代長在(ながあり) 第29代頼完(よりさだ) 第27代長央(よりひさ) 第37代頼綱(よりつな) 第32代頼基(よりもと) 第32代頼徳(よりのり) |
看板によると、第4墓所には主に夫人方の石塔が並んでいるそうです。 |
第5墓所案内 石田三成氏など、相良氏関連外の人の墓も出てきます。 『どうして三成さん方がこんな所にいるの?』と思われた方は下のリンクへどうぞ。 『相良さんたら、ほんと要領がいいわね〜』と、その尻軽っぷりに感心すること間違い なし…。 |
上側の写真は、3つの宝篋印塔を除いた第5墓所全体です。 上段は石田三成公らの石塔、下段は相良家関係の石塔が並んでいます。 下側の写真は宝篋印塔です。 |
真後ろから初代長頼公 長頼公は、いい松に背中を護られているなー…と言いつつ。 管理人は、何枚長頼公を撮れば気が済むのでしょうか。 |
照明家紋 少し見えにくいですが、これにも家紋が描かれています。 「墓所家紋」と同じく、新しいほうの家紋です。 …ん。まぁ、歴代当主の肖像画ペイントより清楚でおしとやかかな。 |
完璧に管理人の趣味に走った頁でした。 でも、実際に訪れてみて、本の中で語られていた人たちが『あ。ほんとうにいたんだ』と 思いました。 当たり前ですよね(笑)。 北と南の大勢力に挟まれながらも、口八丁手八丁、巧みに生き抜いた一族。 彼らなら、「嫌な上司とうまく付き合う狡猾手段」という本を出版できたかもしれません。 はい。 こんなオチですが、最後までご覧になってくださり、ありがとうございました。 |