参.武家屋敷    Buke-yashiki

 西南戦争の際、薩軍が田原坂の戦いで敗れると、西郷隆盛は人吉の永国寺に本陣を 構えました。そのとき、隆盛が宿舎として使用した屋敷が、ここにありました。
 西郷ファンなら嬉しいこの屋敷。
 人吉の伝統に触れる「蔵めぐり」のひとつ、「武家蔵」に行ってみました。

参考資料:武家屋敷説明書

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武家屋敷正面
武家屋敷正面 武家屋敷
見るからに歴史のありそうな門ですが。
この門は「堀合門(ほりあいもん)」と呼ばれる、人吉城の建造物で唯一残っている部分だそうです。
城跡にもこの門がありましたが、実はソレは偽物なのだとか。
さらに屋敷は、相良藩主が休憩所として使っていたものを移築したものです。
結構豪華な部品が集っていますね。
入口は地味にひっそりとありました。


武家屋敷説明
武家屋敷説明 武家屋敷説明
看板の横にある戸は、屋敷内の隠し通路に繋がっています。


堀合門説明
堀合門説明 堀合門(ほりあいもん)
これが噂のナマ城門です(笑)。


堀合門の柱
堀合門の柱 堀合門の柱
大きさは周囲80cm〜90cmくらいの、見慣れた太さの柱ですが。
これがまた、ただの柱ではないそうです。
木の中心に近い、僅かな限られた部分が木材の最も堅い部分とされていますが、これだけの太さの 柱をそこから作ろうとすると、樹齢1000年以上の木が必要になるそうです。
ただでさえ、その特別堅い部分から作られた木材は貴重なのに、この大きさになると、まさに超 高級品と言えるようですよ。
さすが、一国の殿様御用の品。


西郷さん御使用の間
西郷さん御使用の間 西郷さん御使用の間
柱の左側に板垣退助氏の写真がありますが、さらにその向こう側に西郷さんの写真がありまし た。
それを撮るべきでしたね…。
この部屋の天井がやたら低いのは、部屋の中で刀を使えないようにしているからだそうです。
その代わり、鴨居に槍を備え付けて、いざという時はそれを使うようにしていました。
『西郷隆盛がこの部屋に居た』と言われている理由は、天井に特別な装飾が施されている点にも あるそうです。
確かに、天井にずらっと並んでいる短冊型の木材(他に言い方ないの)の角が「猿の頬のように」 削られていました。
偉い人が居る部屋でなければ、こんな装飾はなされないようです。


西郷さん御使用の間 遠景
西郷さん御使用の間 遠景 西郷さん御使用の間 遠景
上の写真の部屋を、庭から撮ったものです。
廊下のテーブルの上にはメニューがありましたが…焼酎アイスとは初耳だ。


庭園
庭1
庭2 庭園
江戸末期に造られた庭園です。
この庭と人吉城内(現:相良神社)、安藤家(現:芳野旅館)の庭は同じ庭師が造ったと言われて います。
池は心という字を表しているそうです。
庭3


相良藩の手洗いばち
相良藩の手洗いばち 相良藩の手洗いばち
「相良藩の家紋は梅である」…てことは、側面とかに家紋が彫ってあったのでしょうか?
見逃した…orz


石風呂
石風呂 石風呂
「武士が使用していた風呂で石風呂は保温に優れている。」
鉄の釜を入れて沸かすそうですが、沸くまで5時間(!)掛かるそうです。
『風呂上りの一杯』を待ちきれませんよー(笑)。


球磨川石
球磨川石 球磨川石
「球磨川の石で川の流れで石にくぼみがはいったもの。」
小さな水滴でも、石を打ち続ければいつか必ず石を削る、といった風のことわざがあったような (不勉強)。
まさにそれですね。
相良家も、これほどの忍耐と努力があったから、700年近くもお家を存続されられたのでしょう か。


総括
相良一家に関わりのある場所だと読んで、武家屋敷に行ってみました。
実際、西郷隆盛氏関連の場所だと知っていたら、行っていなかったかもしれません(!)。
でも、行ってよかったです。
庭が綺麗でしたし、池の鯉をからかって遊べましたし(寂しいね)。
ご閲覧ありがとうございました。