武家屋敷

 相良藩の武家屋敷は、文久(ぶんきゅう)の年(1862年)の火災、明治10年(1878年)の西南の役に おいて殆んど消滅している。この家屋は歴代藩主の御仮屋(おかりや)(関所のようなもの)として、 球磨郡錦町●丸に建てられていたものです。
 新宮簡氏が明治10年西南の役の際官軍として村山台地(現在人吉西小学校附近)より、先に拝領 した堀合門のある自宅に向けて大砲を撃ちこんだ。