多門櫓跡(たもんやぐらあと)

 石塁上に建つ細長い櫓は、一般的に多聞(多門)櫓と呼ばれる。人吉城の多門櫓は、城の正面口 である大手門の脇を固めるために建てられた長屋風の櫓である。大手門櫓・角櫓と同様、江戸時代 前期の1640年代に建てられ、宝永(ほうえい)4年(1707)の大地震で傾いたので修理されている。  幕末になると「代物蔵(しろものぐら)」として使用され、寅助(とらすけ)火事でも焼失せず、廃藩 置県後の払い下げで撤去された。写真は石の佐竹文敬(さたけ・ぶんけい)により、明治初期に撮影 されたものである。  建物は石塁に合せて鍵形となっており、梁間(はりま)2間(4m)、桁行25間(50m)で、瓦葺きの 入母屋(いりもや)造り建物である。壁は上部を漆喰塗りとして窓をつけ、下部は板張としている。 (平成5年度復元建物)

平成5年3月 人吉市教育委員会



多門櫓 photo by 佐竹文敬