於津賀(おつが)社跡

 初代相良長頼(さがら・ながより)の入国前の人吉城主であった平氏の代官の矢瀬主馬祐 (やぜ・しゅめのすけ)をまつる霊社(れいしゃ)跡である。第2代頼親(よりちか)が建立し、 初めの頃御墓(塚)大明神という。文明(ぶんめい)16年(1484)に再興され、元和(げんわ)年中 (1620年頃)に於津賀と改め、寛永(かんえい)7年(1630)に造替された。

 社殿は南向きで、板葺きの御殿(神殿)と添殿(拝殿)の2棟があり、現在その礎石が残って いる。

平成5年3月 人吉市教育委員会