大手門櫓跡(おおてもんやぐらあと)
大手門櫓跡胸川御門とも呼ばれた大手門は、城の正面入口となる重要な場所であったので、石垣
の上に櫓(矢倉)をわたして下に門を設けた。さらに門前の通路は鍵形にして枡形に作り、また、門の
北側には多門櫓を建てて、外濠となる胸川の対岸に大手橋を架けて防御している。門内には番所を
置いて監視させている。
大手門櫓は正保(しょうほ)年中(1644〜1648)に建てられ、享保(きょうほ)5年(1720)に造り替えら れ、明治初期の払い下げで撤去された。撤去前に撮影された写真を基に描かれた油絵によれば梁間 2間半(5m)、桁行12間(24m)の瓦葺き切妻(きりづま)型の櫓門で、壁の上部は漆喰塗り、下部は板張り としている。大手門櫓と多門櫓の間には、長さ3mの瓦葺きの板塀がつく。 平成5年3月 人吉市教育委員会 |
|