武者返し

 御館北辺の石垣上には、絵図にみえる長櫓があり、文久(ぶんきゅう)2年(1862)の寅助(とらすけ) 火事で焼失した。翌年、櫓は復旧されず、代わりに石垣を高くして、その上端に槹出(はねだし)工法 による「武者返し」と呼ばれる突出部をつけた。

 この工法は、西洋の築城技術で、嘉永(かえい)6年(1853)に品川台場(東京)で初めて導入され、 五稜郭(北海道)や龍岡城(長野)等の西洋式城郭で採用されており、旧来の城郭で採用されたのは 人吉城のみである。

平成5年3月 人吉市教育委員会