水の手門跡

 人吉城内に入る4ヶ所の門の一つである水の手門は、正面3間の板葺建物で、球磨川に面する水運 のための門であったことからこの名が付けられた。中川原に常設の橋が架けられる慶長(けいちょう) 12年(1607)以前は、毎年架け替えられる仮橋の場所であった。

 慶長12年から始まった人吉城外周の石垣作りでは、球磨川端の渕埋立てを行い、水運が利用できる ように石垣設計がなされ、城内の所々に舟着場が設けられた。水の手門外にあった舟着場は、城内 で最も大きな舟着場で、門の周辺に置かれた米蔵などの多くの蔵への物資の搬入に利用されている。  石垣上にあった土塀は水の手門まで作られたが、ここより上流は寛文(かんぶん)元年(1661)に竹 を植えて塀の代わりとしている。

平成5年3月 人吉市教育委員会