力石

   第21代相良頼寛(よりひろ)公の家老相良清兵衛(せいべえ)は主君の2万2千石に対して8千石をも 領していた権力者で専横の振舞が多く相良家ではこの権力と実力を制しきれず幕府に対して9ヶ条 (旧字)の罪状をあげて訴え出た。

 江戸幕府では早速清兵衛を呼び出した。清兵衛出立後その留守居をしていた清兵衛の義理の子 田代半兵衛はこの主君の仕打ちに不平を抱き反抗したので藩では彼の屋敷を焼打ちにし一族は悉々 討死した。これをお下の乱という。

 その時城内に火の手があがったのを見て城下の士卒は驚いて馳けつけたが大手の門が固くとざさ れて開かなかったため、犬童三之丞という人が附近にあったこの大石で門を打破ってはいり主君の 安否を気づかったというこの石を力石という。